離島ランナーの部屋



離島ランナーのつぶやき「日記」


2009年11月14日
離島ランナー日記を付けることにした。やはり1ページ目は離島でなくっちゃ。久しぶりに宮古島に行ってきた。11/14(土)の多良間島一周マラソンに参加するためだったが、多良間行フェリーがしけで欠航し、平良港で立ちすくんだ。宮古にとどまり、宮古島温泉まで走ってみた。
のんびりとゲストハウス「ひだまり」で過ごした。目的は達成できなかったが、楽しかった。三線ももっと旨くなりたい。スタッフの皆さん色々とありがとう。



2009年11月15日
わずか2日間だったが、ひだまりを出るときは寂しい気がした。しほさんは宮古で喫茶店をするとか行ってたけど開店できそうかなぁ。



2009年11月29日
小豆島のタートルマラソンに2度目の参加だ。前日は寒霞渓で燃えるような紅葉を見て、瀬戸内海で一番高いという星ヶ峰山に登ってみた。さて、マラソンを走り終えると、泊まっていたホワイトマリーンといういかにも地中海風のペンションの近くにあるエンジェル・ロードに行ってみた。潮が引くと島に渡れるという。この道を手を繋いで渡るとカップルは結ばれるという。丁度潮が引いていた。以前は気がつかなかったけど。。いい景色だった。この歳では誰と一緒に渡れば・・?



2009年12月06日
地元松江市で職場の仲間とチャリティ駅伝大会に参加した。駅伝は久しぶりだぁ。我々は初めての参加だったが、何でも雲仙普賢岳の支援活動のための募金を兼ねて始めたそうだ。寒かったけど楽しかった。走り終えてから八雲町の天狗山に登ってみた。山頂では、なにやら雪のようなものが・・仲間が作ってくれた豚汁を山頂で戴いた。至福の一時でした。



2010年01月17日
離島ランナー「戦艦ヤマト」宮古島に沈没か?
宮古島にまたまたやってきました。8年ぶりのワイドーマラソン(100qウルトラ)に参加です。自分としては自己ベストを狙っての参加で、55qまでは完全な自己ベストペース。遂に11時間が切れるかも・・ところが暑くなった。喉が渇きコーラを3〜4杯がぶ飲みすると「旨い。調子が良い」と思いきや、あれれ・・胸がむかつき何度もはき出して、ついにはその後何を飲んでもすぐに吐いてしまうと言う最悪のパターン。とても走れなくなった。とぼとぼと歩いて90q地点。ドミトリー「ゲストハウス風家」のオーナーと長女の晴子ちゃん、長期宿泊中の荻野さんが応援に・・「あれれ・・どうしたの、もうてっきりゴールするかと待っていても来ないし・・」と迎えに来てくれた。ここで三線の音楽に併せ一踊りをする元気が沸いた。何とか13時間チョットでゴールできた。しかし、その後も寒気と吐き気が回復せず、このケチなおじさんが完走パーティや抽選会にも参加せずオーナーに宿まで送ってもらい、寝込んだ。翌日、ベテランに一言。「根性だけじゃムリですよ。脱水は命に関わるよ」と窘められた。死なずによかった・・オーナーありがとう!!



2010年04月25日
離島ランナーの夢は冨士の桜の如く散った。・・ ウルトラマラソンは恐ろしい。富士五湖チャレンジ初めての参加だが、島根県からは何と私只一人。20回の記念大会で2600人の参加だが、72qの部がビギナー、100qがレギュラー、そして私の目指す112qがチャレンジ。100qなどチャレンジに当たらないという。参加者は100qもハーフのようなスピードで駈けていく。スタート時点の気温はー3度だ。車で3泊したが凍えそうだった。睡眠不足なるも途中まで俳句を書いたり、猫ひろしと握手をしたり余裕だった。80qまでは何とか目標通り歩かずに走ったが・・周囲には同じ色のゼッケンは殆ど居ない。そう取り残されたという感じだ。給水所ではまだ十分時間がありますよと、無念の関門切りはなさそうだったが、その後ひたすら吐いてフラフラになり、遂に自ら87qでリタイヤした。もう2度とウルトラなんかやる物かと舐めたことを思っていたが、翌日雄大な冨士を見ると来年こそやってやると言う闘志が芽生えた。ウルトラの魅力って何だ?



2010年06月14日
 16年前、「夏が来れば♪思い出す・・」歌のイメージを追いかけ山に登ったこともない私が、ズックに簡単なデイバッグで出かけた尾瀬。水芭蕉に出会い感動して山好きになった。そして今回2度目の尾瀬から、燧が岳、谷川岳、草津本白根と3日間で3連チャンの100名山巡りをした。尾瀬沼の朝はカッコウの声で目覚め、朝霧の中の逆さ燧岳。nn素敵。山男がうっとりするのだから、やはり女性はここが好きになるのだろう。テレビもなく、太陽が昇ると目覚め、沈むと寝る。人間の原点に返ったようだ。そして山小屋のお風呂は洗面器2杯の湯で体を洗う。環境についても考えさせられる。至福のひとときです。



2010年06月20日
離島ランナー隠岐の島で沈没!このところ、毎度撃沈されている離島ランナーではありますが、さすがに今日は参った。5年ぶりに隠岐の島ウルトラマラソンに参加し、100qを3ヶ月連続で挑んだのであるが、前回声援が嬉しくて泣き泣きゴールし涙が止まらなかったくらい感動したこの大会!今日は5q時点で汗びっしょり。実は昨夜はワールドカップサッカーの日本×オランダ戦を見ながら飲み過ぎて二日酔い気味の上、睡眠も不足していた。舐めていた。30q過ぎの登り坂で歩いてしまい、50q手前のエードではお腹が空いてカレーライスやおにぎりを馬鹿食いしてしまった。その後、モーレツな雷雨で、前が見えないくらいの雨。僕はトンネルから出られなくなってしまった。しかし、座り込んでいると、知り合いも走り去るのでつられて雨の中へ。どうも落雷もあった様子。とにかく凄い雨の後は突風で一気に寒くなった。そしてまた蒸し暑くなり、どうも体調に変化を来していつものパターンで吐き続けた。最後は関門の制限時間が迫り、諦め掛けている人たちを叱咤激励しながら走り続けた。最終関門をクリアすると、安心してペースダウン。いつの間にか、後方には最後尾のランナーに抜かれてしまい、集団で広報車やパトカー、救急車まで引き連れながらゴールに入った。遂に最終ランナーも経験し、会場では暖かいお出迎え。みんなでハイタッチしながらのゴ〜〜〜ルである。しかし、誰も完走メダルを掛けてくれない?あれ??聞いてみるとゴール時点で5分制限時間をオーバーしていたとのこと。ひぇ〜ショックでその場にひっくり返り、またモドしていると、今度は救助班がやってきて看護士K「大丈夫ですか?」ランナーR「大丈夫ですよ。いつものことですから・・」K「横になってください。今担架が来ます」R「いいですから・・もうすぐフェリーに乗らないと・・」医師I「点滴しましょう・・」R「痛い。痛い。」I「どうも暗くてうまくいかんなぁ・・」K「先生、救急車で病院に行きましょう」R「勘弁して下さい」・・その後人生で初めて救急車に乗せて頂いた。救急隊Y「意識は・・」R「あのぉしゃんとしてますが・・」Y「名前は・・年齢は・・職業は・・」R「え〜職業は言いたくないんですが・・」という会話をしていると程なく病院到着。結局点滴2本で一気に吐き気は回復したが血液検査の数値を見せて頂きI「脱水症です。これ以上酷くなれば急性腎不全で死んでしまいます。死ななくても人工透析するようになりますよ」R「ぞ〜〜っっ」献血ではいつも褒められる数値が桁違いの数値である。人生何事も経験ですが、死ぬ経験は一度しか出来ません。沢山の方に迷惑を掛けてしまった反省で、今後はレース前は飲まないことにします。<(_ _)>



2010年09月24日
 今日。初めて同じ趣味の人と遭遇した。本日休みを取って4連休は北アルプスだ。と勇んで出かけて来た。前日、新穂高温泉から槍の穂先を目指し南岳小屋に泊まって奥穂高へと縦走を計画し、登り始めたが凄い雨で沢の水は増し、おまけに雷と異常な気温低下。こういう時にたぶん夏山遭難は起きるのだ!と判断し滝谷避難小屋から下山した。靴の中も体もザックの中もびしょぬれだった。ザックカバーはしても合羽を着たら背中側からザックが濡れるし、帽子の庇から合羽の中にも雨が入り、何もかも濡れた。あの気温ではおそらく山頂には立てなかっただろうし、危険であった。
 賢明な判断が出来る俺!でも悔しい。そこで平日を利用し局メグ開始。朝一番で、急遽泊まった民宿の近くにある高山市栃尾郵便局へ!何と局の前で老夫婦が座り込んで居るではないか?やがて9時の開局。開きましたよ〜と親切なランナーの一声。老夫婦は元気に局内へ入ると、「局印入の葉書をちょうだい。」と言いながら、片方で貯金を!あれれ、何か同じ匂いがする・・クンクン。「ひょっとして局メグですか?」「はぁ?」意味が通じなかったようだ。
 「郵便局を回っておられますか?」「はい、朝散歩して新平湯の旅館から歩いてきました」「え、あの坂を下って?」「はい。帰りは辛そうですわ・・」などと会話をしている内に、老夫婦私以上に17冊目の通帳だとか・・おや、これは負けてしまいました。脱帽。「これからどちらへ?」「今日大阪へ帰りますねん。温泉巡りをしながら10年ほどでだいぶ回りました。最初は1万円ずつ入れとったんですけどなぁ。金が貯まってしょうがありまへんわ。ほいで今は3千円ずつしとりますねん」「へぇ。私は100円ずつですが・・」「おや、100円でも貯金できますのかな?」「ちゃんとできますよ」てな会話をしながら、「平湯にも局がありましたなぁ〜。でもバスですさかい、今日はいけませなんだ」てなわけで・・親切なランナーとしては放っては置けませぬ!珍道中に参加して頂き、バスが出るまでの間に平湯の局までご一緒した。ご夫婦は89歳と83歳でお元気。旅館まで送ってお別れした。「ほんまに有り難う。」と言ってあめ玉をいただいた。な〜んかいいことしたなぁ。横山さ〜ん。いつまでも、お元気で〜〜
 写真は、平湯から見えた笠ケ岳です。



2010年10月10日
 島根県雲南市木次町の尾原ダム祭りに29歳の長男を誘って行ってみた。丁度30年前、私は、新婚でこの温泉地区に住んでいた。当時からダムの話しはあったが、実現するのは遙か未来と思っていた。長男はこの地で生まれ育った。でも、そのことも長男は勿論覚えていないのだが・・今年が6回目のダム湖祭りだそうな・・新聞のチラシを見て出かけたのだが、来年はもう「おろちさくら湖」と名付けられたダム湖の底に、この風景は沈んでしまう。色々な人の思い出にある風景が川も木も橋も道も沈んで行く。感慨深いものがあった・・



2010年11月26日

 私の職場では毎年1回体力検定がある。私にとっては結構楽しみだ。かつてはハガネのような筋肉であったが、近年はやや錆び付いてしまったような・・本日1年半ぶりに受けてみた。体力に自信の無い面々は、「忙しい・・」とか「怪我しちゃいけない」などそれなりの理由をつけて受けないが、受けてみれば、確かに体力の減退に気づく。自慢ではない?が未だに私は体力では20代だ。若い頃は100mも11秒程度で走ったが、40代では14秒を切るのがやっとだった。跳躍力も瞬発力も明らかに落ちてくる。ここ1〜2年で握力など一気に5sくらい落ちた。腹筋も30秒で40回以上出来たのに、30回がやっとだった。持久力だけは落ちないが・・ほかは毎年確実に落ちている。その内、マスターズに挑戦したいのだが・・まだまだ、対抗できそうにない。鍛えねば・・



2011年11月11日
離島ランナー多良間に集合!ってな感じで多良間の民宿「南ぬ家(ぱいぬや)」に集合した仲間達だ。今井さん。長橋さん。夕方来た高野さん。本当に楽しかったよ。ズリ!決まってまっせ。来年もまたあいましょう。オーナーの西筋(いりすじ)さん。何処までが本音か判らないユニークな人であるが、お世話になりました。来年も泡盛で乾杯しに行きマ〜す。てか?いけるかな?ちょっと自信ないけど・・転勤がないことと、仕事が忙しくならないよう祈ります。



2011年11月13日
風家私設応援団の結成。前日多良間を走り終えた離島ランナーはそのまま宮古に戻り、例の如く「ゲストハウス風家」に宿泊した。なんと夜は世界一のイタリアンレストランシェフ鈴木さんのパスタ料理で大宴会。翌日早速に飛行機で大阪に向かう予定であったが、な・なんと宮古島エコアイランドマラソンが開催され、風家からはヘルパーのなおと君をはじめ、10名以上の参加者が・・これは知らぬ顔して帰れない。ワイドーマラソンではオーナーファミリーに島一周三線で応援していただいたではないか・・そこで私も太鼓でオーナーの三線に併せ大声援。私設応援団ができあがり、何と走りゆくランナー達が逆に写真を撮って行くではないか。この光景は見逃すまいとシャッターに納めました。来年は、私も、エコフルに参加しますぞ!!



2013年05月26日

 ことしのえびす・だいこくは例年になく走り込んで備えていたが思いの外きつかった。昨年遂に10回完走し今年から青ゼッケン(永久欠番Jをゲット!「えびす・だいこくの神」の称号)を誇らしげに着けて走るつもりであった。・・ところが・・歳のせい?30度を超す暑さの上、スタート直後から腹具合が悪くなり、何度もトイレへ・・その影響か?55qのエイドではすでに脱水状態でヘロヘロ・・何も欲しくなく・・後半の魚瀬からの下りでは頭痛と吐き気まで・・あぁついに脱水症かと断念し、津ノ森エイドではリタイヤ宣言を!しかし、ここからが神の執念。無理とは思いつつも電車便がなかったことから、おにぎりと味噌汁を腹にかき込んでノロノロと周囲のランナーを励ましながら走り出す。しかし、大社ワイナリー手間でへたばって吐いていると、遂に「もう無理でしょう?時間があと6分しかありませんから・・乗って下さい」と残り2qで回収車に泣く泣く回収された。バスに乗る前も吐き気が収まらずゲロ袋を持ちながら乗せて頂いた。吐く物もなく、胃と腸あたりが既に痙攣し、下手するとまた救急車か?悪夢が蘇る。遂に完走が途切れた。しかし、来年は、絶対にリベンジだ。当日の夜からへろへろの精神状態ながら決意したのであった。!



2014年05月21日

安来市の自宅にもネットを開通させたのですが、なんと、このソフトを捨ててしまったらしく、データ更新が出来ない状態です。残念!仕方なく古いパソコンのある松江市で更新するしかないのか?
何か新たな方法を考えねば・・アドレスも変えることになるので・・どうしましょ。
どなたか良い意見を頂けませんかねぇ
mail=  jf4ach@sky.megaegg.ne.jp
宛に意見を下さい。



2016年06月12日


  その後、パソコンはwindows10に変え、ソフトもHPV3ソフトを運用し何とか更新している。 
 私は、本年3月31日付で、41年間働いた職場を定年退職した。趣味の旅行や登山、マラソンを続けていくためには、やはり働くしかないので4月1日から新たな職場で働いている。息子も5月末で転職するので二人で男同士の北海道の山旅を計画し、島根から大阪経由で空路千歳へ。しかし飛行機を降りると雨の上、外気温7度。当日は寒くて山の予定を変更して釧路へ!勝手丼で有名な和商市場で、はも丼を食べた。旨い。安い。その後、幣埋橋で「釧路の夜」を口ずさみながら観光し釧路湿原を経由し摩周湖へ。久しぶりだがすごい霧だ。「霧の摩周湖」を口ずさみながら摩周温泉の民宿泊。釧路湿原では鶴を発見。翌日は斜岳登山の予定だったが、雪のため道路が通行止めでどうにもならず、川湯温泉から硫黄山を観光して藻琴山を登山し、網走へ行って、オホーツク網走ザンギ丼を食べた。これも旨い。最終日に何とか天気が回復し雌阿寒岳登山を達成できた。





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